こんにちは。画家の宮島啓輔です。
2026年春に北インド数都市を周ってきました。
その中で色々な人と関わって現地の話を聞かせてもらった濃い旅でした。
本記事では、その中のインドで教師をしている人とヒンドゥー教と日本の神道についてバラナシで話した内容を書き記したいと思います。
その方は、貧しい子どもたちに教育を届ける活動をしており、非常に強い理念を持った頭の良い人でした。
日本には行った事は無いけれど、NHKを受信して日本語を日本人と遜色ないレベルで話せる人でした。
ヒンドゥー教について私が色々質問していると、自然と話題が日本の神道にへと移っていきました。
その中で感じたのが、
ヒンドゥー教と神道は、意外なほど似ているのではないか
という事です。
もちろん、両者は歴史的にも文化的にも全く異なるものです。しかし、深い部分で共通する「感覚」のようなものがあると感じました。本記事では、その会話をまとめたものをヒンドゥー教と神道の共通点について、旅行記として記していきます。
目次
ヒンドゥー教とは何か?インドという国の前提
まず前提として、ヒンドゥー教について簡単に触れておきます。
ヒンドゥー教は、特定の創始者を持たない非常に古い宗教で、インドにおいて最大の宗教です。キリスト教やイスラム教のように、明確な教典や絶対的な教義が一本化されているわけではなく、長い歴史の中で自然発生的に形成されてきた信仰体系です。
代表的な神としては、
- シヴァ神(破壊と再生)

- ヴィシュヌ神(維持)

- ブラフマー(創造)
などが挙げられますが、実際には数えきれないほどの神々が存在すると言われています。
この時点で、日本人にとってどこか馴染みのある感覚があるのではないでしょうか。
共通点①:多神教の世界観
まず最もわかりやすい共通点が「多神教」です。
ヒンドゥー教では、数千、あるいはそれ以上の神が存在すると言われています。
主流なのはシヴァ神だそうですが、個人それぞれが推しの神様を決めて信仰するそうで、親が子どもに自分の神様を押し付けることなく、本当に自由だそうです。
一方、日本の神道も同様に、
- 天照大神(アマテラス)
- 須佐之男命(スサノオ)
などの神々が存在し、さらに「八百万の神」という言葉があるように、あらゆるものに神が宿るとされています。
絶対的な一神ではなく、多用な神の存在を受け入れる世界観です。
この点は非常に似ています。
共通点②:アニミズム(万物に神が宿る)
次に感じたのが
です。
神道では、山や川、木や石といった自然物に神が宿ると考えられています。これは非常に日本的な感覚として知られていますが、インドでも同様の考え方が見られます。
例えば、
- 太陽 → スーリヤ神
- 川 → ガンガー(女神)
特に有名なガンジス川は、単なる川ではなく、神聖な存在として扱われています。沐浴をすることで罪や穢れを流すという考え方は、日本の「禊」や「お清め」に近いものがあります。
自然そのものが神聖であるという感覚が非常に強い共通点です。
共通点③:特定の開祖を持たない
キリスト教にはイエス・キリスト、仏教にはブッダというように、多くの宗教には明確な開祖が存在します。
しかし、
- ヒンドゥー教
- 神道
この2つには、はっきりとした開祖が存在しません。
歴史が長すぎるため、いつどのように成立したのかも曖昧で、民間信仰が積み重なって現在の形になっています。
宗教として誰かが始めたというより、文化に近い存在として長い年月を経てまとまってきたものなのかもしれません。
実際、インドという大国の基盤の根底にあるのはヒンドゥー教的な価値観だとあらゆるところに強く感じました。
共通点④:浄と不浄の感覚
もう一つ興味深かったのが、「浄と不浄」の感覚です。
日本では、
- 神社で手を清める
- お墓の後は清める
といったように、目に見えない「穢れ」を意識する文化があります。
インドでも同様に、
- 他人が口をつけたものは不浄
- ガンジス川での沐浴による浄化
- 左手は汚物を扱う為の不浄の手
など、非常に強い形で「浄と不浄」の概念が存在しています。
インドは、香辛料を加えた甘い紅茶のチャイを路上で飲む文化が広まっているのですが、その容器も素焼きの使い捨て土器が採用されています。
さすがにレストランの食器は洗い直しますが、チャイは飲んだ後は、地面にたたき割る使い捨てなのです。

一見、この浄と不浄の感覚は現代の価値観からみるとかなり宗教的です。
しかし、衛生の知識や医療が発達していなかった遥か昔には、左手は汚物を扱い、右手は食事と使い分けたり、容器を使い捨てるという事も、宗教的な意味づけの元に、病原体のリスクを避けていたのかな
と感じました。
神社の鳥居とヒンドゥーの門(トーラナ)
対話の中で興味深かったのが、建築的な共通点です。
日本の神社にある「鳥居」は、神聖な領域と現世を分ける境界として知られています。
一方、インドの寺院にも鳥居ととても似た形をした「トーラナ」と呼ばれる門が存在し、これもまた聖域への入り口を意味します。
「トーラナ」とはサンスクリット語で塔門を意味します。
起源については諸説ありますが、こうした「聖と俗を分ける門」という概念が両文化に存在している点は非常に興味深いところです。
もちろん相違点もたくさんある
ここまで共通点を見てきましたが、当然ながら違いもあります。
例えば、
- カースト制度の有無
- 神話体系の複雑さ
- 社会制度との結びつき
など、ヒンドゥー教はより社会構造に深く組み込まれているのに対し、日本の神道は比較的ゆるやかに溶け込んで存在しています。
似ている要素はありつつも同じではありません。
では、なぜこれほど離れた場所で似た宗教観が生まれたのでしょうか。
一つ私が推測するのは、
人間が自然と共に生きて来た「自然への畏怖」の感覚が共通しているからという事です。
近代化以前の科学が発展する前までは、自然災害などの自然の脅威を目の前にすると、人は自然に対して畏怖の念を抱き、同時に生活に恩恵も与えてくれる神様として捉えていました。
その結果として似た思想が異なる地域で生まれたのではないかなと思います。
そして、インド発祥のヒンドゥー教的な価値観は仏教にも取り入れられています。
仏教が中国を通って日本に伝来した後に、日本の神道と混ざった神仏習合の影響もあるのではないかあと思います。
まとめ

今回は、ヒンドゥー教と神道の感覚が似ているという内容について、インドのバラナシで考えた話をお伝えしてきました。
私は、旅行をする人は、全員文化人類学者としてみるとかなり面白いと思っています。
この記事を書いている一日前にも、モンゴルや中央アジアを旅し、現地の人の生活に触れ、日本でゲルをつくる活動をされている人から貴重で濃いお話しを聞いてきました。
訪れる国っそれぞれの価値観に触れ、人間の根源的な感覚や気づきが得られるのは、やはり現地の人と話すからこそだと改めて感じました。
他にもアートや旅、創作の情報を多数記事にしているので、是非読んでみてください。
最後まで読んで頂きありがとうございました!

