こんにちは。画家の宮島啓輔です。
2025年の春、約17日間かけてタイとマレーシアを旅してきました。
タイに2週間とマレーシアに3日の日程で、タイのバンコクには1週間以上滞在をし複数の仏教寺院や博物館などに行ってきました。
この記事では、タイトルにもある「シリラート医学博物館」に行ってきた日の事について書きたいと思います。
写真は載せていませんが展示内容が法医学関連という事もあり、ショッキングに映る事もあるのでご注意ください。
タイは、原始仏教の教えを忠実に守る事を重視している仏教の一派の【上座部仏教】が広く国内で信仰されています。
上座部仏教は、日本の大乗仏教とは性質が少し異なり出家し苦行を積んでいる人が主な救済対象とされています。
タイの男性にとって、出家は人生に一度は経験する通過儀礼とされており、首都バンコク市内でもオレンジ色の袈裟(けさ)を着たお坊さんが街中を歩いている所をよく目にしました。
仏教寺院も多数市内に建っており、仏教が身近に存在するからか、合う人は皆優しく穏やかな人ばかりでした。
最初の数日間に市内の観光地らしい寺院はほとんど周ったため、噂には聞いていたこの記事の本題でもある「シリラート医学博物館」へと向かうことにしました。
宿の最寄り駅から船着き場に直結しているサパーンタクシン駅に向かい、チャオプラヤエクスプレスという名前の低価格でチャオプラヤ川周辺の観光地まで行けるボートに乗り込みます。
このボートは、バンコク三大寺院とも言われるワットアルン、ワットポー、ワットプラケオに行く際に数日前に使っていました。
今回向かおうとしているシリラート医学博物館は、チャオプラヤ川を遡り、三大寺院の通りすぎたその先にあります。
数日前に訪れた、煌びやかで美しい形の「暁の寺(ワットアルン)」を傍に川を進み、最寄りの船着き場に到着しました。

船着き場からしばらく商店街のような所を歩くと大きな病院の敷地が見えてきました。
この博物館は、タイ最古の大学病院であるシリラート病院の構内にあります。
「死体博物館」などとも呼ばれ、日本でも少し知られた場所ではありますが、一般的に万人受けするような観光地ではありません。
私がこの場所を知ったきっかけは杉山明さんの著作「アジアに落ちる」の中に登場していた事でした。
病院敷地内を歩き進めると、タイ語と英語と日本語で書かれた博物館への看板が見えてきました。

館内に入り、名前を書き、チケットを購入します。
いくつか棟がありますが、写真撮影はもちろん内容が内容なだけに禁止されているので、この写真はこの看板写真のみとなります。
入場して間もなく目に飛び込んできたのは、整然と並ぶ人体標本から、事故や殺人、自殺の現場写真、その時使われた凶器や実際の損傷した頭蓋骨がガラスケースに入れられて展示されており、かなり生々しい内容でした。
更に進むと、ホルマリン漬けにされた喫煙によって汚れた肺、神経や血管だけを取り出した標本、身体の一部を輪切りにしてたものまで病理学的にかなり貴重なものがたくさん展示されています。
仕組み自体は医学書などで知っていても、人間の中にこれが入っているという事に実感を持ちました。
レオナルド・ダ・ヴィンチが解剖を行って身体の仕組みを理解しようとしていたように、貴重な学術資源という実感を改めて理解させられます。
これらのホルマリン漬けの医学標本は「生きた人間をみる」というよりも標本としてのイメージが先行しますが、実際の亡くなった現場写真のあるものは、より身近に感じられショッキングでした。
数年前までは、タイ国内で有名な凶悪事件に関わったとされている連続殺人犯「シーウィ」のミイラ化した遺体があったそうですが、倫理的な問題等から署名が集まり、2020年に市内の寺院で火葬されたそうです。
建物内には、決して広くは無い建物の中に大量のホルマリン漬けの容器が並んでいます。中でも、胎内で身体が分かれずにくっついたまま生まれてきた結合双生児の標本はかなり印象が強かったです。
同じシリラート病院敷地内にある寄生虫博物館では、
屋台の模型や食品サンプル、どのようにして寄生虫が入るのかという事が展示解説されています。
ここも撮影禁止ですが、人間にとって有害な虫や菌類などについて公開されており、少し気味悪かったものの知識として観ていて興味深かったです。
約1~2時間ほどそれぞれの館内を見て回った後、院内食堂で食事を済ませ、帰路につきました。
この博物館の事は、日本に帰ってきた後も何度か思い返す事があります。
現代の日本の感覚や倫理観では到底建てる事のできないこの博物館は、色々な意見を浴びながら現在も運営し続けられています。
学術的に貴重な資料であると言う事に加えて、「死」を誰もが通過する一般的な事として捉えるタイの上座部仏教的な死生観がこの博物館の存在に影響しているのではないかなといういう風にも感じています。
私は、気味悪かったという感情は抱いたものの、それ以上に「死」という感覚が特別なものではなくすぐ身近に存在するという思いが強くなりました。
「死」を極力見えない場所に押しやって生きる立場からすると、非人道的で倫理的に大きく逸脱した内容ですが、「死」を意図的に直視する事で、その遺体に医学的な価値やこの遺体が生きていた事の輪郭を見出せるのではないかなと思います。
その後の滞在期間は、バンコクを出た所にあるアユタヤ遺跡群やパタヤ、そしてマレーシアへと向かいました。
タイは、人は優しく、文化も興味深く、ご飯も安くて美味しい国でした。
2025年9月27日~10月16日には、大阪カワチ画材阪急三番街店にて、タイ現地で制作してきた作品を中心に個展を開催します。

最後まで読んで頂きありがとうございます。