こんにちは。画家の宮島啓輔です。
世のアート業界では基礎の名で必ずと言っていいほど登場するデッサンですが、今回は「画家やイラストレーターになるためには必ずしもデッサンが必要ではない理由」について書いて行きたいと思います。
私自身、数年に渡りデッサンを続けていたものの現在まで自分の画風とは完全に切り分けた方向性での制作をしています。
前提としてデッサンが不必要と言っているのでは無く、総合的に見た時の作品の魅力は向上させるべきだと思っています。
私の場合、自分の作風を成長させながら制作をする上でデッサン力の向上は自分の作品の描くための理想とは違うと判断したのでそれ以外の作風に感じられるタッチや模様のバリエーションに重きを置いて制作をしてきました。
自分の絵の基礎作りはデッサンの前に制作の方向性を決める事
デッサンとは主に鉛筆や木炭を使ってモチーフをモノクロで表現することです。
デッサンの練習を積み重ねる事で、対象物を観察してバランスを捉え、作品としてリアルに再現する能力が高くなります。
美術系の学校の入試やその授業内容ではこのデッサンをものさしに作品制作の基礎とされている場合が多いですが、このデッサン表現は必ずしも全ての作品表現の基礎として役立つとは限りません。
リアリズムな要素のある表現をするための練習法としては最適ですが、縄文土偶やアボリジニアートのような西洋美術の影響を受けていないようなものや抽象画を描く人にとってはデッサンのスキルはそこまで直接的には必要では無くなってきます。
デッサンなどの見たものをリアルに描く技術が無くても、それ以外の色使いや独自性などのレベルを高くする努力を重ねることでも作品の魅力を出す事は十分可能です。
自分の作品制作においてデッサンを含めた何のスキル向上が適切かを判断して実行するかが重要です。
そのためには外部からの制作の為のインプットを積極的に行っていく事が重要です。
デッサンが作品の魅力に蓋をしてしまう場合がある
伝統的な要素を持つデッサンは個人差はあるもののある程度のレベルの所までは時間をかけて適切なテンプレートに沿って教わり、練習することで到達することが可能です。
独自の絵のタッチを持ちつつアカデミックなデッサンの要素を取り入れてレベルを上げることで作品がより魅力的になるパターンはかなり多いです。
しかし、正規の美術教育を受けずに基礎練習の感覚無く制作された作品が魅力を放つことも多いです。
むしろアウトサイダーアート呼ばれるものや表面的な上手い下手関係なく純粋な気持ちから作られる作品にとってデッサンのような方向の定まった要素が混ざると魅力が減退する場合すらあります。
スペインの画家ジョアン・ミロは「自分はデッサン力がなくて良かった」という言葉を残しています。
ヘタウマの元祖とも言われるアンリ・ルソーもデッサン力も乏しかったからこそ実現した独特な雰囲気の表現だと言われています。
デッサンは無数に存在する表現の中の一つで、ある程度規則に沿ってマニュアル化がされているのでメジャーなものとして扱われているというだけであり、自分に合っていないと感じながら無理に続けると本来純粋な気持ちで描いて楽しんでいた感覚に蓋をしてしまいかねないのです。
個人的な価値観にもよりますが、デッサンがいるかどうかを考える前に自分独自の作品表現を中心にできる方が作家としての価値は高いのではないかと思っています。
絵の魅力はデッサンの上手さだけでは決まらない
世の中にはデッサンの練習の積み重ねによってレベルの高い作品を制作されている作家は大勢います。
日本では魅力的な作品=リアルに描かれている作品の考えが深く浸透していますが、ここまで書いてきたように絵の魅力の出し方は無数に存在します。
作品自分の作品レベル向上のために何が重要かを考えた末に必要であればデッサンを選んで上達させていく事が重要です。
タッチや色使い、作品コンセプト、作者がどんな人かなど作品制作での長所や短所は人それぞれなのです。
いくら基礎デッサンがそこそこできたとしてもても総合的に見たとき魅力的で印象的な作品が描けるとは限りません。
自分のやりやすい所、居心地の良い部分に特化して制作をすることだけでも魅力や独創性は十分引き出せます。
もちろん作品自体の魅力を出すにかなりの積み重ねとエネルギーを込めて本気で取り組む必要があります。
最後に
ここで「画家やイラストレーターになるためには必ずしもデッサンが必要ではない理由」についてお伝えしてきました。
基礎的なデッサン練習をすることがマッチしている人もいればそうでない作家やその中間が良い作家も存在したりとパターンは人の数だけ存在します。
今回お伝えしたいことは、作品を作る人にとって必要な事は必ずしもデッサンだけが全てではないという事です。
自分にとって必要な事を取捨選択して制作して行く事が大切です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。