こんにちは。画家の宮島啓輔です。

絵の世界では、「リアルに描く事ができるか」や「絵の上達」などの部分にフォーカスされがちです。
しかし、私は絵の評価は「上手く描ける」ことだけに縛られる必要は無いと考えています。
今回の記事では、「絵を上手く描けるようになるより大切だと思う事」のテーマで、「上手く描く」だけに縛られない創作に関する考えお伝えしていきたいと思います。
デッサン(基礎)は通らなくてもいい
デッサンや正しい描き方といったそういう基礎的な技術はもちろん役に立つ事は多いにあります。
しかし、それを「絶対やらなきゃ」と考える必要は無いと私は思っています。
軽く試してみるのもアリだし、本気で追求をしてみたり、全くデッサンに触れずに絵を描くという事でも問題はありません。
逆に、本来やりたい事とは筋道を立てて考えてみると異なるにも関わらず、そのまま突き進んで息詰まってしまう事の方がもったいない事のように思います。
何をやりたいかによって、必要となる基礎技術や知識は異なります。
そして、デッサンを含めた基礎的な技術は、無数にある要素の中のひとつに過ぎません。
私は、曼荼羅のような絵や民族的な絵を描こうとする際に、ある程度触れてみたデッサンはあまり必要が無いと感じたため、一般的なリアルさと自分の絵は分けて考える事にしました。
これは、サッカー選手になりたい人がボールをバットで打つ練習をしても直接的な効果はあまり無いという状況や色々な事において当てはまる内容だと思います。
しかし、全て効率化に振り切る考え方もあまり好ましくないと思います。
一見直接には効果がなさそうに見えても、寄り道をしてみたり、成り行きに任せた選択が後になって何かの役に立つ事例はたくさん存在するからです。
自分にとって必要なものを中心に行うと言う事と必要かわからないけど挑戦をしてみると言う2つの視点で、その場の状況によって選び取っていくと言う事が大切です。
絵にはたくさんの「方向性」がある
リアルにみたままに描くという技術は、広い絵の世界の中の一つの選択肢に過ぎません。
世界中の美術史を見渡しても、西洋美術以外のところではそれぞれの地域や時代ごとに、あらゆる種類の美術の潮流や作風があります。
個人作家によりスポットライトの当たるようになってきた現代は、人の数だけ方向性があると言っても過言ではありません。
「絵が得意」と一言でいっても、全く別ベクトルの意味を持つ事もあり得ると思っています。
その為、上手く描けるというひとつのものさしに捉われすぎるよりも、いろんな価値基準のものさしの良いと思ったところをいくつも自分に取り入れて、自分に合った価値基準を選んでいけばいいんです。
むしろ、多数派から大きく離れた事をやる方が武器になる事もあります。
大切な事は「自分の純度」を高めること
絶対的な自分の方向性の正解やゴールは、すぐにみつかったりするものではなく、死ぬまで形を変えるという事もあるかもしれません。
ただ、自分が良いと感じたり、自然と出るクセのようなものは、多かれ少なかれ全員が持っています。
誰かの作品を本気で模写しようとしても、どこかずれてしまったり自分の意思が介入したりするところは誰にでもあります。そのすきまこそが自分の方向性のヒントになり得るものだと思っています。
寸分違わず異なる方向性を持っている人は存在しません。
その為、ポイントを抑えたアドバイスや要素は取り入れつつも、自分のものさしの中での純度を高めるという事が、大切だと私は考えています。
まとめ
今回は、【絵を上手く描けるようになるより大切だと思う事】という内容で、視点を持って置く事で判断の幅が広がりそうな例をいくつかお伝えしてきました。
制作の際のお役にたつ記事となれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。